昭和の思い出

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昭和の思い出  借家を追い出される

私は、長い間、借家住まいをしていました。借家は、トイレ、風呂無しは当たり前、汲み取り式のトイレ、食事は、ちゃぶ台という生活でした。そんな借家生活でも、ほろ苦い思いがいくつかあります。今日は、その中の借家から追い出された話をします。私たちの住...
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昭和の思い出 EXPO70

EXPO20502025年日本国際博覧会は、2025年4月13日から10月13日までの184日間、日本の大阪府大阪市此花区夢洲で開催されました。閉幕して、1ヶ月以上が経っていますね。ネットで入場券購入と個人情報問題、一杯3000円の立ち食い...
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昭和の思い出 日常の体罰

昭和の学校には、生活指導という体罰がたくさんありました。ある一日登校、遅刻してしまいました。担任に見つかり、スリッパで、お尻を叩かれました。1時間目1時間目、英語です。先生の質問に答えられません。棒で手を叩かれます。授業中、おしゃべりをして...
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昭和の思い出 21世紀への期待

子供の頃、「スーパージェッター」というアニメを見て、21世紀なれば、自動車は、空を飛ぶと思っていた。しかし、2025年、車は、4本のタイヤで、地面を走行している。19世紀、フォードが初めて、車を量産したときから変わらない。社会科の授業では、...
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昭和の思い出 家をつくるなら

子供の頃はとても貧乏でした。物心つくころから、借家住まいでした。昭和45年小学4年生のころ、親父が、ナショナル住宅のパンフレットを持って帰ってきたことがありました。「家をつくるなら・・・」というやつです。パンフレットには、庭付きの1戸建ての...
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昭和の思い出 最低の卒業論文

大学の卒業論文は、最低でした。その理由は、一つ目、卒論は、1名、ないし、2名で取り組む。私たちは、4名で卒論に取り組んだ。二つ目、卒論にオリジナリティがなく、過去の卒論の再構成であった。三つ目、発表資料が間に合わず、徹夜で、資料を準備し、ぶ...
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昭和の思い出 アルバイト

我が家は、経済的に厳しいため、仕送りは、衣食住の「食と住」の分だけでした。大学の学費は、自分でなんとか準備できないかと思い。まず、学費の免除申請をしました。親の収入により、学費が、全免除、半免除になります。申請結果、半免除となり、学費は、年...
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昭和の思い出 タイムカード

現在は、「タイムカード」は、死語となりました。私が、入社した当時は、タイムカードが存在していた。「タイムカード」とは、従業員の出退勤時刻を記録するための紙製のカードのことです。タイムレコーダーにタイムカードを差し込むことで、出退勤時間が記録...
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昭和の思い出 読書

大学生の頃の趣味は、読書です。学内には、サークル活動がありましたが、お金がかかるので、どのサークルにも入れませんでした。本は、もっぱら、古本屋で購入します。大学のそばに、数件の古本屋がありました。文庫本は、一冊100円で手に入れることができ...
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昭和の思い出  月光のもれる部屋

大学では、入寮して短期間に退寮しました。詳細は、以下に記事をご覧ください。退寮後の下宿を探さなければならないんのです。田舎の町、大学も1つしかないので、中途半端な時期には、下宿がなかなか見つかりません。大学の学生課にも協力してもらい、やっと...
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